ムーピーゲームはえろい〜人の死と非現実

大体ネタ出し尽くして満足したと思ってたら
なんかもうちょっと考えたので蛇足ながら書いておこう。


今朝電車に乗りながら
「ムーピーゲームっていいよなぁー。えろくて。」
とか下らないことを考えてたんですよ。


ムーピーゲームというのは手塚治虫の「火の鳥未来編」に出てくる娯楽。
ムーピーっていう不定形生物と仮想現実世界で
いちゃいちゃするのがムーピーゲーム。
結局禁止されちゃうんだけど、それくらい魅力的な遊びらしい。


そんな話を考えてたらモロにこれは非人間の話じゃないか、と。
よくよく考えてみると火の鳥はそういう話が多い。
復活編のチヒロ61298号もそうだし、ロビタの話もそうだ。
それを言ったらアトムだってロボットで、
非人間と人間の比較話もたびたび取り上げられている気がする*1
あまり手塚作品読んでないから分からないけど、
非人間が主人公の場合は多くて、対比とかもその都度行われていると思う。
えろいといえば「やけっぱちのマリア」っていうダッチワイフの話も
そういうテーマを持ってるのかな。

それはそうとして手塚治虫が主題に置いてた問題なのかなーとか。
いろいろ考えたら重要なテーマなのかとも思えてきた。


「最近の子供は現実と非現実の区別がつかない」だとか
「人が死ぬということを理解できない子供*2」だとか。
そういうのって「いくらなんでもそこまでバカじゃないだろ」という気持ち半分、
「もしかして本当に信じてるんじゃないか」という気持ち半分で、
世の中の現実味がかなりアヤフヤになってるんじゃないかと不安な気持ちが大きい。
実際僕も現実の人の死に直面したことがないので「何も分かってない」と言われれば
そうなのかなぁ、と思ってしまうかもしれない。
それだけにフィクション作品での現実と非現実の区別が重要なのである。


あ、いい感じに盛り上がってまとまった。
今度こそ終わりっぽい。

*1:僕がまともに読んだのは「アトム今昔物語」っていう番外編みたいなのくらいなんだけど、それは全体的にモロ比較話だった。

*2:死んでも生き返ると信じてるっていうあれ。