永遠はないよ。

予告してた話をします。
ぶっちゃけおたく関連の話。


先日買ってきた「ある日、爆弾がおちてきて」が面白い。
ふしぎな女の子と普通の男の子を題材とした短編集。
表題作が女の子の形した爆弾との恋愛話。
他にも神様やら幽霊やらの女の子が出てくる。


他にもこういう話を最近読んで、かなり気に入っていたので
どうしてこういうのが好きなんだろうなあ、と思った。


いろいろ考えた結果「非人間が出てくる作品」が好みなんだと気付いた。
爆弾でも幽霊でも妖怪でもアンドロイドでも最終兵器でも*1なんでもいいけど
とりあえず女の子の形をした非人間っていうのがキーだ。


作品の中でそれらの非人間はとても魅力的に描かれる。
というよりは男にとってとても都合の良いキャラとして。
空から女の子が落ちてきたらいいなーという
おたく男子の願望が具現化した形としてモノが落ちてくるという、
昔からよくある話。


僕も一介のおたく男子として「そういうのっていいよねー」と思うんだけど
平凡な日常に生きている者として「いやそれじゃいかんだろ」というのがある。
だから、最終的に非人間と結ばれないラストになるととても安心する。
フィクションであってもその辺を甘く考えているのが納得いかなかったりする。
おたく的作品の都合良さをそのままにしておく居心地の悪さがあるんだろうと思う。


「非人間」は卑怯。
というのはおたく的作品に触れたことがある人ならなんとなく分かると思う。
非人間というのは人間の有限性を否定した存在だから。
また、もともとがおたくの願望から生まれているものなので
大体が主人公を否定することはない。


対して現実の女の子として描かれるキャラは醜い。
非人間は美しいけどそれと比べられる場合、
卑俗でちっぽけな人間として描かれてしまう。
現実の女は嫉妬したり浮気したりする。


それでも主人公が現実の女の子を選ぶことを僕は望む。
だって非人間と結ばれても多くの困難が彼らを襲うと思うから。
相手が不老不死であれば自分だけが年をとって死を迎える悲劇が待つ。
それならばいっそキレイに非現実にカタを付けて
現実に生きる幸せを選ぶほうがいいと思うわけだ。


こういう話をやる上でギャルゲーっていうのは面白い媒体。
プレイヤーが「非人間」を選ぶか「人間」を選ぶかを選択できるから。
それぞれにシナリオがあってちゃんと物語が着地する。
でも「非人間」に安易に救いを求めるシナリオだとどうかと思う。
なんにしても選択の余地がある、というのは面白い。


だからかどうか、僕はそういう作品が好きなんだなぁ、と思ったわけです。
「非人間だって愛するということに変わりないじゃない!」
という考えの人もいるだろうけどあえてその辺は無視して書きました。


こっからまた話が拡がるんだけどー。
「つづく」。

*1:宇宙人、未来人、超能力者も乱暴に言えばその類。他にメイドロボだのファティマだの、いろいろ。