あっちの世界に行った人

その人は駅前で毎朝自作のフリーペーパーを配っていた。
そのフリーペーパーとは小さなコミュニティのようなものだった。
フリーペーパー宛に送られてくるメールと、その人のコメントとの
やりとりがつづられた一枚の紙。


僕はちゃんとその紙を見たことがない。
毎朝配っているその人の笑顔が、どこか虚ろな印象を与えていたからだ。
ちらっと内容を見たが、やはり目的がよく分からなかった。
朝も10:00くらいまで配っているこの人は何をして暮らしているのだろう。
想像できなかった。


彼の姿を見なくなったのは2ヶ月くらい前。
僕は内心ほっとしていた。
毎朝あの人を見るのが僕には辛かったからだ。
毎日100枚ちかくの紙の束を抱えて配り続けていた。
いろいろ考え出すと僕には理解が出来ないことが多すぎた。


このフリーペーパーの試みと、
それをこのしがない地方都市で実践する精神は
確かに面白いなぁ、と思っていたが、
それ以上に僕は異端者としての彼が苦手だった。


そんな彼を今朝久しぶりに駅前で見た。
見た目はぜんぜん変わっていなくて
「ああ、またこの人か」と思った。
またいつものように紙を配っていた。


唯一違ったのは
紙に何も書いてなかったこと。


白紙の紙を人に渡していた。
駅員の人が出てきて
「これ何も書いてないじゃない」
と見たままのことを言った。


あっちの世界に行ってしまったのかなぁ、と思った。
結局僕は何も分からないままだ。